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短編創作小説「ディス・イズ・マイプルーフ 【上】」

私はこの人生に後悔など感じてはいない。
 様々な場所に行き、空気に触れ、足を踏み入れ、素晴らしい景色を見た。
 また、その数に比例して沢山の人達と出会い、語らい、そして笑ったのである。
 はっきりと、胸を張って言える。この世のどんな人間よりも唯一無二の経験を、
 誰もが理解する事ができないだろう視点で見据え、この世界で呼吸をしてきたと。
 ・・・・だが、もし、それでもこの世に後悔はないかと問われたら
 私はこう答えよう。
 後悔ではなく、「悔い」なら二つも作ってしまった。
 一つは私の人生という旅の中で、ついに「神」とだけは会う事が叶わなかった事だ。
 一体何が足りなかったのか、いつ終わるか分からないこの人生の中で、
 その「答え」だけは分からなかった事が非常に残念だ。
 神の歩くであろう道は、目の前に来ていたというのに。
---------------------------------冒険家 ヘンリー・アイゼンバーグ著 
「君へ贈る記録」より一部抜粋

**

 どこからともなく、果実感を纏った甘い香りが漂っている。その香りに、おはよう、と言われたかの様に
鼻の先を軽く小突かれた気がした。ぼんやりとだが、朝になったと彼女はようやく理解する。
 2011年4月22日、キリスト教でいう聖金曜日である今日はエリシャ・アイゼンバーグにとってまた別の意味でも
特別な一日だった。胸まで掛かってた羽毛布団をずらして上半身をベッドから離す。そのまま大きく伸びをし、
一呼吸つくとカーテンを一気に開いた。青空を期待してたのも虚しく、空は一面灰色の雲に覆われていて、
エリシャは興ざめするしかない。唇を尖らせて、眉間に皺を寄せる。
 ふと視線を左に移すと、ベッド脇に本棚があり、その上には一枚の写真が入った写真立てが
目に入った。エリシャはさらに顔を歪ませ、溜息を吐く。
「もう、ママってば」
 左足をベッドから下ろすとそのまま片足で立ち上がり、本棚上の写真立てを手前に伏せた。写真が見えなくなる。
一仕事終えた、という感じに2度うなずくと、そのまま体重を後ろに預けて、どすん、とベッドに腰を下ろした。
枕元にある丸みを帯びた赤い目覚まし時計を見る。午前9時34分を指していた。
 大人ってこんなものなのね、と思うと天井を仰いだ。「何も変わらないじゃない」と蛍光灯を見て呟く。

 甘い香りの正体をエリシャは分かっていた。寝起きで多少のふらつきを感じながら階段をつたい
下の階へ降りてゆく。一段、一段、と降りて行く度に、その香りは一層濃くなっていった。
「おはよう、エリシャ。早いのね、今日位ゆっくり寝ていてもいいのよ」
ドアを開けた先のキッチンで、エプロンに身を纏った母・カレンが穏やかな笑顔をこちらに向けた。
両腕の手首~二の腕位までが白い粉で覆われている。
「おはようママ!こんなに甘いお菓子の匂いがしたら、女の子として寝てられないわ。
 ねぇ、今日は何の日でしょう?」
「今日は大事な復活祭の前の聖金曜日ね」
「ええ、そうね!そうだけど、それだけなの?」
「あら、他に何があったかしら」
「ひどい」
欲しい言葉をくれないカレンに、エリシャは頬を膨らませる。その仕草のあまりの幼さにカレンは噴き出した。
「今日で20歳のレディがそんな顔したらいけないわね」カレンはウインクし、口元まで右手を上げると、
人差し指をチッチッと左右に揺らす。ママは意地悪だ、と呟きながらエリシャは顔を洗いに洗面台へ向かった。
 エリシャと母親であるカレンは、カナダ・オンタリオ州のあまり栄えてない場所にある住宅街で
豊かな生活とはいえないものの、力を合わせて二人で幸せに暮らしていた。
二人が住む木造二階建ての家の一階は、カレンが経営する洋菓子屋「SAY TRUE」になっている。
今日、4月22日は記念すべきエリシャの20歳の誕生日で、さらに偶然にも今年の聖金曜日と重なっていた。
 聖金曜日は、復活祭直前の金曜日を指す。
イエス・キリストが一度処刑で命を落としたにも関わらず3日後に生き返った日、キリストが人々に
「神」と認識された日を「復活祭」と呼び、キリスト教を信じる者たちは、神様の生き返った日、
言い方を変えれば「神が誕生した日」を祝福するのだ。
普段は大学に通いながら、商品の仕込み等カレンの仕事をエリシャは可能な限りで手伝っていたが、
「誕生日だしゆっくりしなさい」と今日はそれを免除されていた。朝から漂っていた甘い香りは、エリシャの
誕生日用の、カレンが準備していたタルトの材料だ。カレンのタルトがエリシャの大好物だった。
「エリシャ、ジョシュ先生が来たから店内に顔を出して頂戴!」
洗った顔をタオルで拭いている時にキッチンから、カレンの声が聞こえたので慌ててカウンターに
向かうと、エリシャに気づいた栗色の髪の中年の男が、片手で被ってた帽子を外し笑いかけた。
「おはよう、エリシャ。調子はどうだい?」
「おはようございます先生。曇ってるのが残念ですが、気分は良いですよ」
エリシャは首を傾げながら窓に目をやる。エリシャの視線に反応し、ジョシュと呼ばれたその男も
後ろを振り返り、窓の向こうに広がる空を眺めた。
「今にも、泣き出しそうな空だ」ジョシュは肩をすくめて、持ってきた自分の傘を指差した。
 エリシャの通う大学で、歴史や地理を専門で教える教授であるジョシュは「SAY TRUE」の常連だった。
フランス人であるジョシュにとって、カナダ人のカレンの作るミルクレープは本場のパティシエが作る
それに勝るとも劣らない程に格別らしく、週に1度は仕事終わり等に一切れ買いに来た。
「頼んでた物は出来上がってるかな」
「もちろん、ちょっと待ってもらえますか」
ママ、用意はできてる?とキッチン入り口を覆うカーテンを覗きながらエリシャが尋ねると、白い箱に入った
出来立てのミルクレープを持ってくるカレンの姿が現れた。
「お待たせしました、先生」カレンはミルクレープの入った箱を袋に入れてジョシュに手渡す。
「おはようカレンさん。ありがとう。これが無いと新入生を迎えられない」
いつもは小さい箱に入る大きさの一人分一切れのタルトを買っていくジョシュだが、今日は大学に行く前に
ホールで買った。毎年恒例だった。4月に入ってきた新入生でジョシュの講義を熱心に受ける生徒達に
ティータイムを設けてミルクレープを振舞うのだという。「糖分は脳に必要不可欠だからね」と笑った。
「先生、今日は何の日か知ってますか?」
にっこり、満面の笑みのエリシャにジョシュも満面の笑みで返す。
「聖金曜日だね」
「みんな、そればっかり」
「はは、誕生日だね?20歳おめでとうエリシャ」からかって申し訳ない、とジョシュは少し大げさに拍手しつつ笑う。
 つい先程、母親とも同じやりとりをしたエリシャは、やはり頬を膨らませてしまう。隣のカレンが、また
この子は、とでもいいたそうな目で見てくるので、すぐに顔を戻した。
「何かプレゼントを用意しておこう、好きな時間に大学へ来るといい」
 左腕の時計を確認すると、思いの外時間が過ぎていたらしい。おっといけない、じゃあ良い一日を、と
顔だけエリシャの方を向きながら、ジョシュは足早に店を出て行った。

 カレンは、冷蔵庫にエリシャのお祝いの為に準備したタルト生地をひとまず入れた。タルトは午後にでも
デザートとして出すのでまだ焼かない。そのまま朝食の準備に取り掛かる。「何か手伝う事は?」とエリシャが
言うので「じゃあパンをトースターにセットして、テーブルも拭いて貰おうかな」とカレンも答えた。
 ダイニングテーブルの上のトースターに食パンをセットすると、エリシャは濡れ布巾でそのままテーブルを拭く。
じゅうっとキッチンの方で何かを焼いてる音がし、その後に卵と一緒に肉肉しい匂いが漂う。ハムかベーコンだ。
椅子に腰掛けると、エリシャは窓に目を向けた。何度見ても、ジョシュの言うところの「今にも泣き出しそうな空」の
状態は変わる気配が無い。奮発して、朝食のデザートにハーゲンダッツでもあげるから機嫌直してくれないかな、
などと考えてみる。が、当然Mr.Skyは何も反応してくれない。そんなんじゃ女の子にモテないよ!と
エリシャは窓に向かって舌を出した。
 目の前に、カレンがグラスを置きミルクを注ぐと、次に、どうやら焼き上がったらしいスクランブルエッグと、
ベーコン、ポテトサラダが盛り付けられた皿を置いた。自分用の皿も置く。
 カレンの皿には目玉焼きとベーコン、ポテトサラダが盛られている。エリシャは目玉焼きが苦手だった。
少しして、トースターからパンが飛び出たのでそれをエリシャが皿に乗せ、自分とカレンの前にそっと置いた。
「さ、お祈りをしましょう」カレンも、全ての用意を終えるとエリシャの対面側の椅子に腰掛ける。
 カレン、エリシャ共に右手中指を、額、胸、左肩、右肩へと振り十字を切った。
 カレンに至っては「神よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます。ここに用意された物を祝福し、
私達の心と身体を支える糧として下さい」と実際に声に出した。
さらに十字を切る時に、「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン」と神に祈りを捧げ、合掌する。
 本来、カトリック協会では聖金曜日は断食する事を習慣としているが、今年はカレンの誕生日と被る為、
アイゼンバーグ家では例外という形を取った。
 食事をしながら、ふと気づくとエリシャを少し寂しそうな目でカレンが見ていた。「なあに?ママ」
「あなたの20歳の誕生日、パパが生きてたらきっと喜んだろうなって思って」
「そうかな」意識してそっけなくトーストを齧りながらエリシャは言う。「パパが生きてたとして、今日この部屋で
3人揃って朝ごはん食べてるとは思えないけど」パンを歯で齧ったまま、手のひらを見せる様に両腕を肩まで上げた。
 エリシャの父親であり、カレンの夫であったヘンリー・アイゼンバーグは冒険家として、世界各国を旅する男だった。
1961年にフランスで生まれたヘンリーは、読書が趣味の勤勉な人間で、将来は学者になるという夢を抱きながら
生きていたが、様々な書物、文献に触れていく内に「もっと大きく広大な世界をこの目で見たい」という気持ちが
大きくなり、夢を現実にする為、25歳で大学をやめ、世界を股にかけるようになる。様々な土地、国を転々とした。
 後に、カナダでの旅の途中に出会ったカレンと28歳の時に結婚。翌々年、30歳の時、1991年4月にカレンとの間に
一人の女の子を授かる。それがエリシャである。
 冒険家という職業柄、ヘンリーはほとんど自宅にいる事は無かった。初めのうちは最低一ヶ月に一度は家に顔を出し、
娘の成長を確かめに来ていたが、旅がカナダから大きく離れた場所になると、それも叶わなくなっていった。
それ故にエリシャも父親に関しての記憶はかなり曖昧だった。顔もおぼろげにしか覚えてない位だ。
 顔を思い出す為のピースは、部屋の本棚の上にある写真立てに入った、まだ赤ん坊だった自分と一緒に
映った若かりし頃のヘンリーとの写真しか無かった。だから、エリシャは殆ど顔を見たことも無く、電話で
何度か話した位しか関わりを持てなかった父親、ヘンリーに良い印象を抱いてはいなかった。
嫌っていたと言う方が正しいかもしれない。
 ヘンリーはその後、旅の途中で事故に遭い、1999年に38歳の若さでこの世を去る事になる。エリシャが8歳の時だった。
「あなたがパパを良く思っていない原因はママにもあると思ってるの。ママは、夢に向かって真っ直ぐ進むパパをとても 
愛していたし、誇りに思っていたから。旅であった色々な出来事を目をキラキラさせながら私に話してくれるパパを
ママは応援したかった、見守りたかった。でも、冒険家なんて仕事は、私は我慢できても子供の貴女には、ね。
子が父親と会えない事がどれだけ辛かった事か、想像できなかった。そういう人を愛してしまったママにも責任があると、
ずっと思ってたわ。今日みたいなおめでたい日に言う話じゃないかもしれないけど、謝らせて。ごめんね、エリシャ」
「そんな」エリシャはフォークとナイフを、皿に置くと体を前のめりにし、悲しみに嘆くカレンに訴える。「ママは何も
悪くなんか無いわ!今日、この瞬間までずっと一緒にいてくれてるじゃない。毎年誕生日に私の為にタルトを焼いてくれて、
眠る時はキスしてくれて」目頭に熱いものが込み上げて来るのを感じたエリシャは精一杯平静を保とうと努めるが、
声はどんどん震えていく。「人はどんな夢があっても、結婚して守るべき人が出来たり、子供が出来た時点で自分の夢を
一旦捨て家族の為だけに生きていくものだと私は思ってる。人生と言う物語の”主人公”を自ら降りるの。パパはそれを
放棄したんでしょ。パパをこんなに愛してたママを、娘である私を放って、やりたいこと優先して。言えるものなら
本人に言ってあげたいわ!あなたは」
 そこまで言うと、エリシャは口をつぐんだ。目の前の母が、さっきの謝罪の時以上に、悲しそうな顔で
俯いているのにやっと気がついたからだ。
 そして、黙って椅子から立ち上がる。「ママ」感情に任せて言い過ぎてしまったのかもしれない、とエリシャは思い、
そのままその場から離れるカレンを呼び止めようとするが、ダイニングを出た後数分してカレンはすぐにまた
ダイニングに姿を現した。だが、変化があった。手に何やら少し分厚い紙袋を持っているのが見えた。
「ママ、それは何?」エリシャは重い空気と沈黙に耐えられず、率直な疑問を口にする。
「パパから、20歳の誕生日にあなたに渡してくれと頼まれていたの」
「え」
 目の前に差し出された紙袋にはここの住所と、ヘンリーの名前しか書かれておらず、エリシャは訝しげに恐る恐る紙袋を
受け取ると、すでに封が開いてるのを確認して腕を突っ込んだ。手ごたえを感じ中身を出すが、中身もブルーの包装紙で
包まれており、さらにリボンで留めてあった。触り心地から見ると本や冊子のような印象を受ける。心臓の鼓動が
早くなるのをエリシャは感じた。中身を知る事に対し、抵抗と恐れを覚えるが、それ以上に中に何が入ってるのか、
ヘンリーは自分に何を贈ったのか、興味がその恐れを上回った。包装紙を、上品さとは正反対の手つきで破いていく。
 中身は、やはり本、だった。ノートだ。表紙には何やら記述がされてるが、普段英語で会話するエリシャもカレンも、
文字を読む事が出来なかった。多分、フランス語だろうなとエリシャは思う。ヘンリーの母国語だったからだ。
 簡単に中を確認する。中身も表紙と同じ言語で書かれており、何枚も写真が貼ってあった。様々な景色や人物と
映るヘンリーを確認できたが、それ以上にエリシャは写真に写る、ある事柄に衝撃を受ける。
「ママ、ごめんちょっと外に出てきて良い?」
「ど、どうしたのエリシャ」カレンは、今まで見た事も無いエリシャの必死な表情に不安を露わにする。
「このノートの内容を、私は知らなくちゃいけない気がする」
 そう言うと、エリシャは凄い勢いで2階の自分の部屋へ駆け上がった。寝起きであまり纏まっているとは言えない
金髪の髪をゴムで一気にポニーテールに結び、パーカーとジーンズに着替え、バッグにヘンリーからの本を入れると、
帰ってきたらすぐ食べられるようにタルト焼いておいて、とだけカレンに伝え、家のドアを開けた。
 そうだ、天気が悪いんだった、と空模様を目にして思い出し、玄関に戻って赤い傘を抜き出す。そしてドアを飛び出し
自転車にまたがった。生暖かい風が、エリシャの体も気持ちも包んでいくようだった。

 **
 凄い勢いで図書館のドアを開け、目の前に汗だくの女性が大慌てで現れたものだから、大学内の図書館が
マラソン大会のゴール地点にでもなってるのかとジョシュは錯覚しそうになった。
 図書館にいた人間全員が反射的に彼女の姿を目で追う。「良かった、ここで合ってた」と、何とか声に出し、
息を切らしながらその場で倒れこむ彼女に、「ゴールおめでとうございます!」と、拍手の一つも鳴らない事に
一瞬だけジョシュは違和感を覚えてしまった。ジョシュはいつもより10分ほど遅れて大学へ着いて、
食堂脇のドリップコーナーでコーヒーを楽しんだ後、午後からの講義に備えて図書館で予習をしていた。
 状況が飲み込めなかったが、とりあえず席を立ち自分の対面側の席の椅子に手をかけて、女性に着席を勧める。
「あ、ありがとうございます」差し出された椅子に、女性は藁にもすがるような必死さで腰かけた。
ジョシュはやっと顔を確認出来た。顔周りの髪を全部後ろに束ねていて、いつもと雰囲気が違っていたせいで
分からなかったが、確かに顔見知りの生徒だと理解した。
「エリシャ?エリシャじゃないか」どうしたんだ、そんなに慌てて、と口から出そうになるが、一つ心当たりがあった。
罰が悪そうに眉を下げてジョシュはエリシャに言う。「こんなに早く来るとは!まだプレゼントを用意してないんだ」
「そんな事はどうでもいいんです」エリシャは切実な表情で、首を横に振る。
「何だ、プレゼントの事じゃないのか」それは良かった、とジョシュは胸を撫で下ろした。
 もう一度、エリシャの顔を見る。汗が額から鼻筋近くまでつたい、白い肌が血管の膨張により少し赤らんでいた。
色素の薄い睫毛が頬に影を作っている。年頃の若い女性が化粧も満足にしないで外に出るというのは、
相当切羽詰った状況にいるのだろうか、とジョシュは思う。
「大学着いて、でも先生がどこにいるか分からなくて、通りすがりの生徒に聞いたら、ジョシュ先生なら
図書館じゃないか、って」まだ少し息切れ気味に、エリシャは呟いた。
「それは大正解だった。プレゼントの話じゃないなら、一体どうしたんだい?今、講義の予習をしていたんだが、
講義は幸いにも午後からだから時間は空いてるよ。テキストに分からない問題でもあったかな?」
 ん?と、いつもと同じ様に穏やかに微笑むジョシュに安堵を感じると、エリシャは早速本題に移るべくバッグから、
紙袋を取り出した。
 ジョシュは無言で受け取ると、エリシャの顔を伺った。小刻みに頷く彼女を見て、中をまさぐると水色の
表紙の分厚いノートが出てきた。
「これは?」
「父が私の20歳の誕生日に、って残していたらしいんです。母から渡されました」
「それは大事な物じゃないか」驚いて手に持ったノートからエリシャに視線を移す。「私が中を見ても?」
「カナダ人の私と母じゃ、その表紙に書かれた文章さえ読めないんです。先生、分かりますか」
「これは、フランス語だね」表紙を指差すジョシュに、やはりそうか、とエリシャは思う。
「表紙の文章は『君へ贈る記録』と書いてある。君と言うのは、エリシャのことだろう」
「中に何が書いてあるのか、教えてもらえないでしょうか」
「もちろん、いいとも」
 では拝見するよ、とエリシャに一言断ると、ジョシュはノートをめくり始める。
目が左右に激しく動き始めた。
時々驚きの声や感嘆の言葉が漏れる。写真も見ているので、時々目はそれをじっと捉えたまま動かなかった。
しばらく、そんな時間が続いた。エリシャは落ち着かなかった。手持ち無沙汰で、周囲を無意味に眺めたりする。
「確か、君は父親の事をあまり好いてはいなかったよね」ジョシュはノートに目を向けたまま、エリシャに話しかける。
「仕事にばかり目を向けて、幼い頃に全然構ってくれなかった事が嫌だったんだろう。
自分の事なんかきっと気にもしていないって」
 そう言うと、一旦ノートから目を離しジョシュはエリシャを見る。
「このノートは云わば君のお父さんの『冒険日記』のようだが、新しい場所に行く度に、書かれてるのは君と
カレンさんの名前ばかりだよ」ページを指で示し、そのまま文章に沿ってなぞった。「『この景色をエリシャに見せたい』、
『この花の匂いはエリシャのイメージにピッタリだ、カレンもそう思うだろ?』と。とにかく君たち家族に
語りかける様に書かれている」
 エリシャは、思いもよらなかった事実に驚きのあまり声が出ない。でも一瞬だけノートを見て「まさか」と
思ったことが一つあった。
 日記の所々に説明と一緒に貼られている数々の写真。旅の途中で出会った人々と一緒に映ってる物もあれば、
景色だけの物、また景色と一緒に、笑って立っている写真など、見たこと無いヘンリーの姿が沢山確認できたが、
そのほとんどの写真のヘンリーの片手には一枚の写真が掲げられていた。それは、エリシャの部屋の写真立てに
入っていた、幼き日のエリシャとヘンリーの写真だった。まるで、一緒に旅をする家族のように、
顔の横に掲げている。もしかしたらお守りのような役割もあったのかもしれない。その写真と共に笑う
ヘンリーの顔は危険な冒険をしている最中とは思えないような、安心に満ちた表情だった。
そう、ヘンリーは、エリシャをカレンを、心の中に連れていた。
 エリシャの目の前に深く暗い渦の様なものが現れ、それが体を飲むように感じた。昨日までの無知だった自分を
「最低だ」と心の中で罵った。ああ、私はなんて愚かなの。
嫌いだった父親。その父親と一緒に映る、これからの事を全く知る由も無い無垢な表情でカメラを見つめる
幼少の自分の写真。エリシャはなるべく見たくなくて、その写真が入った写真立てを常に本棚の上で伏せていた。
 時々、母親が既に眠ってしまったエリシャの部屋におやすみのキスをしに入る度、倒されたそれを立てた状態に
戻していった。その行動がとても嫌で、その度に幾度となく写真立てを伏せる日々を過ごしていた。
 父親はそれをこんなに大切に持ってくれていたと言うのに、だ。
「今にも、泣き出しそうなエリシャだ」
 ははは、と優しく笑ってジョシュはエリシャの頭を軽く撫でた。
まずい、泣くものか、と口を固く閉じて感情を、押し殺す。それからも、ジョシュはエリシャの望みどおり、
ノートに記されたヘンリーの冒険の記録を、テーブルに置いて写真を指差して説明も交えながら読み上げていった。
 始めのうちは意気揚々と語られていた冒険譚に、年月を増すごとに『君達は今どうしてるのだろう』、『色々な
人に会うけど未だにカレンとエリシャに敵う美人を見た事が無いんだ。エリシャは今まだ5歳だけどね』などと、
残していった家族への気持ちをぽつりぽつり、と文章の間に挟むような弱い一面も書かれていた。
『男は一度決めた道は振り返れないから、進む。自分がしてきた経験をこの記録を通じてエリシャが知ってくれたら、
 それだけで私が生きてきた事に意味が生まれる。いつか電話で何度かエリシャと話した時、受話器の向こうで
 君は「パパ、わたしもつれてって」って泣いたね。私は「ああ、きっと一緒に世界を見よう」と言うしかなかった。
 とても会いたかったけど、旅は経験してみてわかる。冒険と言うのは、字で書くように険しい事のがあまりに多いんだ。
 楽しいだけの旅なんてただの観光さ。そうだろ?そんな危険な場所に、私の選んだ決して容易ではない人生の大海原に、
 世界一大事なベイビーを連れて行くなんて出来っこなかったんだよ。代わりにこうやって精一杯、世界の魅力を写真に
 、君の為におさめてきたから感じて欲しい。私も大人になったエリシャの隣で、一緒にこれを眺めている事だろう』
 ジョシュの読み上げる内容にただ黙って耳を傾けるエリシャは、物心がようやくついた頃に電話でヘンリーと
言葉を交わした事を思い出していた。近所の同い年の友人は、公園で父親と砂場やブランコで遊んだり、三輪車で
走ったりしていてそれをとても羨ましく思ってた。だから電話で「わたしもいきたいの!」と感極まり泣いてしまった
事があった。それを聴いたヘンリーも「そうだな。エリシャもいつか世界に連れてくよ」と約束をする。
 でも、それは結局は守られなかった約束となり、幼いエリシャを悲しませる事となってしまった。
父の死を知った当時8歳のエリシャは、墓前で泣きながらこう呟いた。「パパの嘘つき」
 そう言わないといけない父の気持ちを、まだ幼すぎた彼女は理解できないまま成長し、
今日20歳の誕生日を迎えたのだ。

 ジョシュが読み上げる父親の言葉に、絵本を読み聞かされる子供のような面持ちで心を浸らせてた
エリシャだったが、流暢に話すジョシュの声がぴたりと止まった事に気づき、首をかしげた。
「どうしたんですか」エリシャは、尋ねる。
「いや、最後に記されたこの記録だけ、他と違っていてね」
 ジョシュが指したページを見てみると、確かに他と違っていた。文章は走り書きで、写真も貼られていない。
その代わりに、何か景色を描いたと思われる鉛筆によるスケッチがあった。
とても絵が上手とは言えないスケッチだった。海のような、広い場所に宙に浮くような長い足場。
その上に太陽のような丸いものが描かれている。ように、なんとか見える。
「絵、ですね」スケッチをみて呟き、文章に目を落として尋ねた。「なんて書いてあるんですか」
「l'or arc-en-ciel」
「え」
「ロール・アルカンシエル、さ。フランス語で”金色の虹”という意味だよ」
「金色の、虹」
「記された文章を読もうか。『”金色の虹”を私はついにこの目で確認する事ができた。ずっと探していた、
言うなれば私の中での最大の夢が眠るパンドラの箱である。なぜなら、この金の虹は私の敬愛すべき父である、
神と会う事ができると言われた幻の場所であり景色だからだ。幾つかの条件が見事に結びつき、その虹が姿を現す時、
天の使いに導かれ神は虹を目の当たりにする私たち、即ち偉大なる神の生んだ「子」と対面を果たす事になる、と
私は冒険の初期に出会った老人から聞いた。それ以来、ずっとずっと探してやっと念願にもその神の歩く道を
見ることに成功したのに、結局私は神に会うことは出来なかったのである。条件は満たしていたと思っていた。
一体何が足りなかったというのだろうか。』」
 読み終わるとジョシュは、どういう事だ?とでも言う様な面持ちでエリシャと顔を見合わせた。
「君の父親は、神に会おうとしていた、という見解で正しいのかな」苦笑気味にエリシャに意見を求める。
「金色の虹で、という事ですよね」エリシャもジョシュとほぼ同じ様に、その文章を受け取っていた。神だって?
「神、とは」
「イエス・キリストの事でしょうか」
 考えれば、考えるほど冒険譚の中でいきなり出てきた「神」という現実味の無い単語に二人の頭は混乱する。
確かにキリストは処刑され、息絶えたと思われたその三日後、人々の目の前で生き返って見せたと言われている。
でも、それは過去だ。
キリスト教信者でさえ、信じてはいるが、この世にはもうイエスは生きてはいないと誰だってわかっていた。
信者なら、崇拝をしてる主人に会ってみたいと考えるのは普通ではあるが、それを行動に移すというのは
きっと傍から見たら狂気を感じざるを得ないだろう。正気ではない人間の狂言だと、後ろ指を差されるに違いない。
考えてみた。イエス・キリスト。今日はエリシャの20歳の誕生日であり、聖金曜日だ。
そしてその2日後の日曜日、4月24日には復活祭が控えている。
------まさか。

「「復活祭!」」

 極めて静粛な空間を保った大学内図書館に、ジョシュとエリシャの発した言葉が同時に放たれた。
周囲の数人が振り返ったのに気づき、二人ははっと口をつぐむ。まさか、ヘンリーはそう言いたいのだろうか。
「20歳の誕生日に、このノートをパパは私に残した。パパは私に自分の夢を託したかったのかもしれない」
「金色の虹を見て欲しいと?」
「いいえ、神に会って欲しいって。その伝説が幻じゃないことを確かめて欲しいって」
 一瞬、ジョシュは目を大きく見開き、きょとんとあっけに取られた表情になるが、そのままとても
申し訳なさそうに控えめに、エリシャに言った。
「エリシャ、残念だが虹は金色にはならないよ。なりえないんだ」テーブルに置かれたノートに手をかけ、
ページを少し戻す。「君の父親は事故で無くなったそうだが、その体は38歳にしては随分弱っていたと聞いている。
ここだ。このページに『旅の途中でどうしても食料が手に入らず、仕方なく木の側の地面に生えていた木の実や
キノコ類を食べたが、それからとてもだるくて参っている。今までで、一番今家族に会いたいと願う自分がいる』
と書かれているんだ」
「仰る意味が理解できません」
「君の父親は幻覚を見たんだ、と私は思う。食べてしまった食物の毒で」
「もし、幻覚なら会いたかったイエスときっとその時会えてると思いますけど」
「幻覚で、自分で見たいものをコントロールできる訳ではないよ」
 二人の意見と意見は対立し、しばし沈黙がその場を覆った。何訳の分からない事を言ってるのだ、目の前の男は、
とジョシュに敵意を感じてしまうエリシャだが、我に返り首を振る。神に会おうとしていた、意識さえ正常に働いて
なかった恐れのある父の言葉を鵜呑みにしている自分の方が、傍から見ればよほど気狂いじゃないかと自覚する。
しかし、もう湧き出た気持ちに後戻りは出来なかった。
「ごめんなさい、ジョシュ先生。変な事言ってるのは分かってます。でも、父の夢が叶う日が近づいてるのなら
娘の私は、それを果たしてあげたい。遅すぎたかもしれないけど、やっと分かった父の愛に、応えなきゃ。
じゃないときっと私は、後悔してもしきれない」
 エリシャの目は、困惑に顔を歪めたジョシュを真っ直ぐに見つめる。俯き、右手で後頭部をがしがしと掻くと
負けたよ、とでもいうように短く溜息を吐いた。顔を上げ、エリシャを見ると片眉を上げて、言う。
「復活祭までは、まだ時間があるね。この周辺で比較的虹が現れやすい場所を調べておこう。
場所が分かったら、店の方に連絡を入れるから、当日その場所へ行ってみるといい。だが、可能性は低いよ。
これから私は予習の続きをするから、君はゆっくり誕生日を楽しみなさい」
「本当ですか!ありがとうございます!」
 全く若い子は勢いがあって羨ましいよ、と少し呆れ気味に笑うジョシュに、エリシャは笑顔で握手を求めた。
「あ」エリシャは窓に目を向ける。今にも泣き出しそうだったMr.Skyは午前11時46分、ついに大号泣し始めた。
窓に大粒の雨が打ち付けられる。ザー、っと音も伝わってきた。空はとても暗く、相当な大雨だ。
「傘を持ってきて、正解だった」ジョシュは雨で濡れる窓を見ながら腕を組んだ。
「私の勝ちね!女だって泣くの我慢できるんだから」
エリシャは胸を張った。Mr.Skyは悔しそうにも、開き直ってるようにも見えた。それほど、激しい雨だった。
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プロフィール

JUNE

Author:JUNE
JUNE(ジューン、ジュン)
旧PN:十文字貴人
男 4月25日生まれ
血液型:A
好きな事:映画鑑賞、読書、落書き、英語勉強
人間は「人生」においては誰もが素人。だから、焦らず楽しもう!

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